松本智津夫(麻原彰晃)の生い立ちや出身、家族の嫁や子供(娘)についてチェック!

 

こんにちは!

オウム真理教の教祖として平成の大事件を引き起こした麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の刑が執行されたことで話題になっていますね。

管理人は地下鉄サリン事件が行われた1995年生まれなので、松本智津夫死刑囚に関してはニュースで見たことしかないのですが、今回彼の生い立ちや出身、そして家族である嫁や子供たちについてまとめたのでご紹介していきます!

 

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松本智津夫(麻原彰晃)の生い立ちや出身について

  • 名前:松本智津夫(まつもとちづお)
  • 別名:麻原彰晃(あさはらしょうこう)
  • 誕生:1955年3月2日 熊本県八代氏
  • 死没:2018年7月6日(63歳没)

麻原彰晃こと松本智津夫さんは、熊本県出身の日本の宗教家(主教団体オウム真理教の元代表、教祖)であり、テロリストでした、

日本で唯一の「最終解脱者」を自称していましたが一連のオウム事件を起こしたことで逮捕され、2006年に死刑が確定していて、ついに2018年7月6日に刑が執行されてしまいました。

彼の成人前までの生い立ち振り返ってみましょう!

1955年3月2日、麻原彰晃こと松本智津夫さんは熊本県八代市高植本町(旧八代郡金剛村)の畳職人の家庭の4男(6男3女の9人兄弟の第7子)として誕生しました。

先天性緑内障のため生来左目がほとんど見えず、右目の視力は1.0程度だったそうです。

彼の視覚障害は水俣病の影響であり、それゆえに同じく視覚障害を起こすサリンを使ったのではないかという仮説もあるようです。

非常に貧しい家庭で育ち、生活は逼迫していて苦しい幼少期を送ったそうです。

一旦は八代市立金剛小学校に入学しましたが、視覚障害者を理由に熊本県立盲学校に転校し、寄宿舎に移住しました。

しかし、松本智津夫さんは全盲だった兄とは異なり目が見えたのに、学費も寄宿舎大も食費も不要な盲学校へ入れられたことを親に捨てられたと思い不満をぶつけ、転校の際には泣いて嫌がるほどだったそうです。

盲学校では強い権力欲を見せ、目が見えるために他の子供たちを子分扱いにし、暴力で支配、全盲の子供を外へ連れ出すと食事を奢らせたり。

時には窃盗を命じたり、全盲の生徒相手に落とし穴を仕掛けたり、自分の欲しいものを買わせたりし、「外へ連れて行ってやったのだから日当をよこせ」などと行ってお金を巻き上げたりしていたそうです。

また、寄宿舎の消灯時間が過ぎたにも関わらず部屋の明かりを点けたことを寮母が咎めた際には強く逆ギレしたり、生活指導の教師が注意すると「いうだけなら、何をいうたって勝手でしょう」と嘯くこともあったそうです。

しかし、高等部での担任教師であった人物は、盲学校時代の報道を聞いて、「そういう陰日なたのある人間とは、とても感じられなかった」、「明るい活発な子で、遠足に行くときは見えないこの手を引いてやったりしていた」と述懐しているそうです。

成績は中程度だったようですが、「自分のように病気で困っている人を救う仕事がしたい」と熊本大学医学部を志望するようになり、高等部3年の3月に同医学部を目指すが当時は視覚障害者では医師免許が取れなかったこともあり諦め、高等部専攻科に進学しました。

松本智津夫さんは幼い頃から体格が良く、当時の教師によると高等部3年の時には身長175センチ体重80キロはあり、部活動は柔道に打ち込んだそうです。

政治家の毛沢東や田中角栄などにかねてから傾倒していて、鍼灸免許も取得した松本智津夫さんは、この頃より「東京大学法学部卒の自民党の政治家となりゆくゆくは内閣総理大臣の座に就くこと」を志すようになりました。

なお、小学部5年時に児童会長、中学部在籍時と高等部在籍時に生徒会長、寮長に立候補するが、全て落選しています。後の真理党の時のように先生の陰謀だと言い出したこともあったそうです。

そして、1975年(昭和50年)3月(20歳)、熊本県立盲学校を卒業しました。

このように、松本智津夫さんは貧しい幼少期と親と離れて自由奔放に過ごした盲学校時代、そして様々なことを学び、後のオウム真理教の繋がるであろう人格を形成して行った時期を成人前までの間で過ごしていたようですね。

 

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松本智津夫(麻原彰晃)の嫁や子供(娘)について

松本智津夫さんは東京での予備校時代に知り合った石井知子さんという女性と結婚され、知子さんとの間に6人の子供がいます。

まず嫁である松本知子さんはオウム真理教の元最高幹部であり、在家信者という扱いだったようです。

松本知子さんも1994年の薬剤師リンチ殺人事件で逮捕され、服役していましたが、松本智津夫さんの妻であるだけで教団との関わりは薄いとされていました。

しかし、オウム真理教からアーレフという団体になってからも、経済的な援助を受けていることが判明しています。

次に子供たちです。松本智津夫には愛人が100人以上いたとされ、妻の知子の子供である6人を含めて12人ないし15人ほどの子供がいるとされています。

長女

1978年生まれホーリーネームはドゥルガー。教団での地位は正悟師。省庁制の際には流通監視省大臣であった。

次女:松本宇未(うみ・仮名)

1981年(昭和56年)生まれ。ホーリーネームはアジタナーター・カーリー。2000年(平成12年)1月に長男を連れ去ろうとした事件で2月19日に逮捕され、保護観察処分となった。
麻原詐病説などについて四女と真っ向から対立し、四女はマスコミ受けの良い話をして金を得ていると批判している。

三女:松本麗華(りか)

1983年(昭和58年)4月生まれ。教団での地位は正大師でホーリーネームはアジタナーター・ウマー・パールヴァティー・アーチャリー。省庁制の際には法皇官房長官であった。

2000年(平成12年)1月に長男を連れ去ろうとした事件で2月19日に逮捕され、保護観察処分となった。

現在は著書を出版したり、テレビ番組などにも出演している。

四女:松本聡香(さとか・仮名)

1989年生まれで、オウムや家族とは絶縁し、自殺未遂を繰り返す。ネットカフェ難民やホームレスのような生活をしながらも贖罪の道を模索している。

三女の松本麗華に対しては、「姉は被害者に対して謝罪していない」「本の内容はでたらめで私の知っている真実とは異なる」と述べ非難している。

松本聡香(麻原彰晃の四女)の本名や顔画像、経歴を調査!ブログコメント全文も!
長男

1992年生まれ。4歳の時に教団の教祖となる。

父松本智津夫の後継者のような扱いを受けているが、実際にはそのことで精神的苦痛を受けたとして訴訟を起こしたりしている。

次男

1994年生まれ。2歳の時に教団の教祖となる。

2006年に春日部共栄中学校に合格したものの、「麻原の息子」だという理由で入学を拒否された。次男らは、憲法で禁止された不当な差別によって精神的苦痛を受けたとして、共栄中学校に損害賠償を求める訴えを起こした。

まとめ

以上、麻原彰晃こと松本智津夫さんの成人までの生い立ちや、嫁や子供たちについての簡単ですが、ご紹介でした!

いまだに事件や様々なことに関しての動機や理由が判明しないままの刑の執行となってしまったことから日本中が驚いてますね。

しかし、刑が確定してから既に12年が経過しており、平成の大事件は平成のうちに片をつけたのではという見方も多いようです。

今後こういった凄惨な事件が二度と起こらないためにもしっかりと原因の究明が求められますね。

子供たちも、偶然松本智津夫の子供として生まれてしまったばかりに様々な苦痛を味わうこととなってしまったようです。

たとえ子供といえども松本智津夫とは違う他人の人生ですから、決して影響されてはいけないですよね。

難しい問題です、、、

それでは!

 

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